開創約1200年の光久寺の境内にある茶庭で、江戸時代加賀藩御用造園師・駒造の作庭とされます。丘陵を巧みに使った山水造りとなっており、泉水に浮かぶ中島やさりげなく配された石組みのほか、植栽の妙趣や背後の樹木との見事な調和から、別名「俯仰園」とも呼ばれています。